12月13日はきらりの誕生日🎂
でもそのあとくらいから、鼻の調子が悪くて、いろいろ気になることが増え、
時々病院に行くようになりました。
鼻血が出た今年の2月下旬にも鼻水をとって検査してもらったのですが、
そのときは、悪いものは出なかったのです。
「ということは、老犬だから、粘膜が弱っていて、これから鼻血はどんどん出るようになる、どばっと出ることもある」とのことだったので、
それから亡くなるまでずっと鼻血が出ていたにもかかわらず、血液検査などはしていましたが、鼻血の検査をしてもらうことはありませんでした。それだけは後悔しています。
ただ、鼻血が出るともう助からない、と同じく愛猫を鼻腔がんで失った友人が言っていたし、
1.3キロあるかないかの老犬に、どんな治療もできなかったと思うと、
それがきらりの寿命だったのか、と諦めるしかありません。
いくつまで生きてくれても、わたしはよくばりで、やっぱり失った悲しみを避けることはできなかったでしょう。

亡くなるちょうど1ヶ月前、夜中の3時ごろ、ふと目が覚めて頭上に寝ていたキラリを見たら、
わたしをじーっと見つめていました。
あんまり長く見つめているので、スマホを手にしてこの写真を撮りました。
ちょっと時間が経ったので、この時には目が少しとろんとしていますが。
まだ病気とも思わず、まだまだ元気で17歳になれそう、と信じて疑わなかったわたしは、
こんなことがあったのよ、と旧友に写真を見せました。
すると彼女が、
「ありがとう、って言ってるね」と思いがけないことを言ったのです。
「何言ってんの、まだぜんぜん元気だからそんなんじゃないよ」と返しましたが、
あとから、彼女の直感は当たっていたのだ、と涙しました。
最後の方は、まっすぐ歩けなかったり、水を飲みにいって目の前の水が飲めないでその横に舌を伸ばしていたり、鳴くことのなかったキラリが、車に乗せると絶叫して、
少し走ってはおろして歩き、また少し走っては絶叫がすごいのでおろして・・・といった
(キラリ、どうしたの?)状態が続きました。
ふつうにわかっているし、暮らせているのに・・・マダラボケか?と首をひねっていました。
心配ばかりで、わたしもクタクタ。逆流性食道炎になったり、腕に帯状疱疹が出たりしました。

火葬にしたとき、これまでのワンはみんな頭蓋骨がしっかり残っていたのに、
キラリの頭蓋骨は、割れてしまっていました。
ガンが骨を侵食していたようです。
どんなにか、痛かっただろう、と思います。
よく歩こうとして、震えて途中で動けなくなったりしていました。それも謎でした。
震える=寒いのかと思って、5月に入っても服を着せていました。
でも、犬は痛いと震えると、あとからしりました。
車で絶叫していたのも、とっても痛かったからだと思います。おろしたらピタッと鳴き止んで、
スタスタ歩くので、そんなに車がいやなの? とこれもまた老犬になって
わがままがきつくなったのかな、と思っていたのです。
わたしって、どこか抜けているというか、わかっていないというか⤵️
17歳のお誕生日は、キラリのカラーは黄色と思っているので、
黄色い花を買ってきて供えました。
近くにはおしゃれな花は全然売ってないから、ちょっぴり残念でした。

額の中の写真は亡くなる二日前、夜に発作を起こしたその日のものです。
最後まで足は元気で、見かけも高齢犬には見えず、
トリマーさんも、この日に預けたはまじいの家のスタッフさんも、
みんな亡くなったことに驚いていました。
でも、一番驚いたのはわたしでした。
思い出したらやっぱり悲しすぎるし、涙が滲むけど、
こうしてつらつらと書いて、それで昇華できるものもあるでしょう。
過日刊行された2冊は、キラリを心配しながら、でも生きているときに書いたものです。
最終チェックのあたりには、もう亡くなっていましたが・・・。
キラリが今も応援してくれていると思うので、
これからもコツコツ、書いていきます。
今はただそれだけ



生きていたら17歳でした。
5月に亡くなって7ヶ月がすぎ、 日々は全く以前のようにすごしながらも、
心の底辺には哀しみが滔々と流れています。
5月に亡くなって7ヶ月がすぎ、 日々は全く以前のようにすごしながらも、
心の底辺には哀しみが滔々と流れています。
ただ、13日に、しみじみと、17歳まで生きてくれたとしても、
人間もそうなように、それはそれで本人(犬)はたいへんだと思いました。
十分に生きてくれて、わたしを支えてくれたと、心から感謝しています。
2月14日、奇しくもバレンタインデーにやってきたキラリは、体重が500グラムもなくて、
なかなか増えなくて、食も細くて、トリマーさんに、
「おかあさん、体重減ってますよ、しっかり食べさせて」と言われるくらいでした。

最大値1.5キロの華奢なワンが、それでも最後の鼻腔がん(脳にも転移してたかも?)までは
病気らしい病気もせず、
そのとき12歳だった先住犬、海(カイ)くんがお父さんのごとく大事にし、毎日思いっきり遊んでもらって幸せなワンでした。
カイくんも19歳なで長生きして、寝たきりの1年7ヶ月は介護でかわいそうでしたが、
それまではカイくんも、キラリと一緒でとってもハッピーだったと思います。

カイくんが虹の橋を渡った後、キラリはよほど悲しかったのでしょう、
若いワンには珍しい、といわれる肺炎になって。
(中医学では、悲しみは肺、と言われますが、あの時、とても納得しました)
でもそのあとは、1匹になってしまったので、わたしが大事に大事にして、

ほんとうに
小さくてきれいなワンでした。
街を歩いていても、だれかれなく、かわいいですね!と笑顔になって、
この子には人徳ならぬ犬徳がある、なーんて思っていたものです。
15歳すぎに白内障の手術をしました。
両方が見えなくなったときには、わたしがほんとうに辛くて、
見るに見かねて、たまたま友人のワンがかかっていたので、眼科専門医の存在をしりました。
手術のために顔周りは短くなったのですが、
それがまたかわいくて(親バカ)

それから1年半、ほんとうに元気でいてくれて、眼科専門の先生(普段の獣医さん曰く、おそらく
日本一という先生が車で40分のところにあったのはラッキーでした)にも感謝いっぱいです。
人間もそうなように、それはそれで本人(犬)はたいへんだと思いました。
十分に生きてくれて、わたしを支えてくれたと、心から感謝しています。
2月14日、奇しくもバレンタインデーにやってきたキラリは、体重が500グラムもなくて、
なかなか増えなくて、食も細くて、トリマーさんに、
「おかあさん、体重減ってますよ、しっかり食べさせて」と言われるくらいでした。

最大値1.5キロの華奢なワンが、それでも最後の鼻腔がん(脳にも転移してたかも?)までは
病気らしい病気もせず、
そのとき12歳だった先住犬、海(カイ)くんがお父さんのごとく大事にし、毎日思いっきり遊んでもらって幸せなワンでした。
カイくんも19歳なで長生きして、寝たきりの1年7ヶ月は介護でかわいそうでしたが、
それまではカイくんも、キラリと一緒でとってもハッピーだったと思います。

カイくんが虹の橋を渡った後、キラリはよほど悲しかったのでしょう、
若いワンには珍しい、といわれる肺炎になって。
(中医学では、悲しみは肺、と言われますが、あの時、とても納得しました)
でもそのあとは、1匹になってしまったので、わたしが大事に大事にして、

ほんとうに
小さくてきれいなワンでした。
街を歩いていても、だれかれなく、かわいいですね!と笑顔になって、
この子には人徳ならぬ犬徳がある、なーんて思っていたものです。
15歳すぎに白内障の手術をしました。
両方が見えなくなったときには、わたしがほんとうに辛くて、
見るに見かねて、たまたま友人のワンがかかっていたので、眼科専門医の存在をしりました。
手術のために顔周りは短くなったのですが、
それがまたかわいくて(親バカ)

それから1年半、ほんとうに元気でいてくれて、眼科専門の先生(普段の獣医さん曰く、おそらく
日本一という先生が車で40分のところにあったのはラッキーでした)にも感謝いっぱいです。
でもそのあとくらいから、鼻の調子が悪くて、いろいろ気になることが増え、
時々病院に行くようになりました。
鼻血が出た今年の2月下旬にも鼻水をとって検査してもらったのですが、
そのときは、悪いものは出なかったのです。
「ということは、老犬だから、粘膜が弱っていて、これから鼻血はどんどん出るようになる、どばっと出ることもある」とのことだったので、
それから亡くなるまでずっと鼻血が出ていたにもかかわらず、血液検査などはしていましたが、鼻血の検査をしてもらうことはありませんでした。それだけは後悔しています。
ただ、鼻血が出るともう助からない、と同じく愛猫を鼻腔がんで失った友人が言っていたし、
1.3キロあるかないかの老犬に、どんな治療もできなかったと思うと、
それがきらりの寿命だったのか、と諦めるしかありません。
いくつまで生きてくれても、わたしはよくばりで、やっぱり失った悲しみを避けることはできなかったでしょう。

亡くなるちょうど1ヶ月前、夜中の3時ごろ、ふと目が覚めて頭上に寝ていたキラリを見たら、
わたしをじーっと見つめていました。
あんまり長く見つめているので、スマホを手にしてこの写真を撮りました。
ちょっと時間が経ったので、この時には目が少しとろんとしていますが。
まだ病気とも思わず、まだまだ元気で17歳になれそう、と信じて疑わなかったわたしは、
こんなことがあったのよ、と旧友に写真を見せました。
すると彼女が、
「ありがとう、って言ってるね」と思いがけないことを言ったのです。
「何言ってんの、まだぜんぜん元気だからそんなんじゃないよ」と返しましたが、
あとから、彼女の直感は当たっていたのだ、と涙しました。
最後の方は、まっすぐ歩けなかったり、水を飲みにいって目の前の水が飲めないでその横に舌を伸ばしていたり、鳴くことのなかったキラリが、車に乗せると絶叫して、
少し走ってはおろして歩き、また少し走っては絶叫がすごいのでおろして・・・といった
(キラリ、どうしたの?)状態が続きました。
ふつうにわかっているし、暮らせているのに・・・マダラボケか?と首をひねっていました。
心配ばかりで、わたしもクタクタ。逆流性食道炎になったり、腕に帯状疱疹が出たりしました。

火葬にしたとき、これまでのワンはみんな頭蓋骨がしっかり残っていたのに、
キラリの頭蓋骨は、割れてしまっていました。
ガンが骨を侵食していたようです。
どんなにか、痛かっただろう、と思います。
よく歩こうとして、震えて途中で動けなくなったりしていました。それも謎でした。
震える=寒いのかと思って、5月に入っても服を着せていました。
でも、犬は痛いと震えると、あとからしりました。
車で絶叫していたのも、とっても痛かったからだと思います。おろしたらピタッと鳴き止んで、
スタスタ歩くので、そんなに車がいやなの? とこれもまた老犬になって
わがままがきつくなったのかな、と思っていたのです。
わたしって、どこか抜けているというか、わかっていないというか⤵️
17歳のお誕生日は、キラリのカラーは黄色と思っているので、
黄色い花を買ってきて供えました。
近くにはおしゃれな花は全然売ってないから、ちょっぴり残念でした。

額の中の写真は亡くなる二日前、夜に発作を起こしたその日のものです。
最後まで足は元気で、見かけも高齢犬には見えず、
トリマーさんも、この日に預けたはまじいの家のスタッフさんも、
みんな亡くなったことに驚いていました。
でも、一番驚いたのはわたしでした。
思い出したらやっぱり悲しすぎるし、涙が滲むけど、
こうしてつらつらと書いて、それで昇華できるものもあるでしょう。
過日刊行された2冊は、キラリを心配しながら、でも生きているときに書いたものです。
最終チェックのあたりには、もう亡くなっていましたが・・・。
キラリが今も応援してくれていると思うので、
これからもコツコツ、書いていきます。
今はただそれだけ




